Doing deadな理由は自分主体ではなく世間を中心に生きているから

よく、「変わってるね」「変人だね」と言われる詩乃です。

自慢になりませんが、中学時代からすでに「変人」という定評があり、今の会社に入社するための面談では「これ聞いたら失礼かもしれないけど、変人って言われない?」と人事担当者に言われました。(その会社に迷わず入社しました)

さてさて、先日Twitterでこんなやりとりをば。

▲モヤモヤ感が一瞬でスタイリッシュに。しごたのマジック。

詩乃さんはおそらくその辺の人よりは、自分自身の欲望「やりたい!」という気持ちに素直に行動しています。そんな詩乃さんでも「やりたいことをやってるはずなのにすっきりしない」ってことがあります。

その辺の話を、詩乃さんが「変人」と呼ばれてる話に絡めて考察してみました。(どう変人なのかは今回は触れませんが)

広告

なぜDoing deadが発生するのか

やりたいことをやっているはずなのに、なぜすっきりしないのか。そもそもそれって「私が」やりたいことだったのでしょうか。

▼そこら辺の苦悩がにじみ出てるツイート

Doing deadは「他人のやりたい!」と「自分のやりたい!」がごちゃごちゃになってるとき

Doing dead状態の時、詩乃さんは無意識に「自分は○○がやりたい!」と思うことよりも、「世間一般では○○がやりたいと思うはずだ!(だからやるべきだ!)」を優先して行動してしまっているのです。ああ、なんということでしょう。

世間一般の「やるべきだ!」を追いかけている時、知らず知らずのうちに行動に「正解」を求めるようになります。だって「世間一般の人がやりたい!と思う内容」だと信じて安心したいんだから。

そんな選択ばかりしてるとどことなく発言が他人事みたいになって、自分は結局何がやりたかったんだっけ?って考えることを忘れちゃうんだよね。怖い怖い。

でも探してる「正解」は見つかりません。そもそも正解がわかる選択肢なんて学校の試験問題くらいじゃないのかと。見つかる当てもない答えを探し求めて詩乃さんのMPは消耗されていきます。

MP消耗してまでどうして「私」よりも「世間一般の中の私」を優先するのか

MPを消耗しながら「やりたい!」と錯覚していることを実行しているのは、「世間一般」や「普通」の人たちの仲間入りをしたいからです。「変人」扱いされがちな詩乃さんにとってこのことは死活問題で、「普通」になってる間は拒絶されることもなく生きていけると思っているのです。

「変人」っていいこと?

今となっては詩乃さんは変人と呼ばれることを良しととらえてますが、そもそも「変人」とか「変わってる人」ってどういう人なんでしょうか。

ここではわかりやすく「世間一般の人とは違う言動や考え方をしてる人」ってことにして話を進めます。

みんなと違う「特別感」への憧れ

詩乃さんの周囲で肯定的に、もしくは嫉妬を交えて「変人」を捉えてくる人は、特別な自分という存在に憧れている方が多いです。油断すればすぐに大多数の「みんな」とか「普通」に飲み込まれてしまうような、そんな人が多いです。

「みんなとは違うんだ」という諦めの理由としての「変人」

かつて詩乃さんは人間関係の構築に失敗して2回ほど空気になりました。

自分の存在が空気になったとき、詩乃さんは最初「どうして空気にされたのか」という理由が全く分かりませんでした。だからと言って誰かが村八分になっている理由を教えてくれるわけでもありません。なんせ空気なので。

その時の詩乃さんは仮説を立てて心の防衛戦争を始めます。「おそらく私の考え方や行動に変なところがあったのだ。みんなと違うから空気になったのだ」と。「変人」と言われる肩書は村八分にされても仕方ない理由にはちょうど良かったのです。だってみんなと違うから仕方ないって。

今となっては「空気になったから変人として振舞ったのか」「変人だったから空気になったのか」はわかりませんが。

良い事だと思っては無いが、変人でいたい。

詩乃さんは自分が世間一般でいう「普通」から、どの程度離れた座標にいるか知りません。でも空気にはなりたくないので、MPを消耗してでも「普通」の中に紛れ込みにいくのです。空気じゃなくて、詩乃さんはここにいると気付いてほしかったのです。

でもぶっちゃけ、MPなんて使用限度がありますし。いつまでも猫かぶって生活できないよね、と。

世間様に迷惑かけてないなら、好きなように生きたいじゃん。それが人と比べて少々変わってるかどうかの話しなだけで。

「個性の尊重」という違和感

詩乃さんが小学生の頃、「人それぞれの個性を尊重しましょう」というふうに先生からよく教えられました。けど実際には本当に個性的な人ってだいたいクラスで空気になってるか浮いてるかいじめられてるかのどれかだと思う。

そこが小学生の時からずっと不思議で、何故先生たちは「個性を尊重」しろというのに、尊重された人たちは孤独なんだろうと考えてました。自分も空気だったしね!

その時に学校で見た「個性の尊重」は無難な定型的選択肢A・B・Cの中から選ぶ程度の多様性にしか見えなかったんですよねぇ。誰もトリッキーなαを選ばないしそもそもその選択肢を思いつかない。だから「個性的」って主張するほどに「没個性」にしか見えなくなった。

本当の「個性的」とか「変人」って、自分の考えを尊重してるんじゃないの?

詩乃さんは小学生の時に大変素直に育ったので、先生が言ったとおりに「自分の考え」とか「やりたい事」(=個性)を尊重して行動してたらいつの間にか変人に仕上がっていました。小学生の頃の詩乃さんよ、グッジョブだ!

確かにこれ以上空気になりたく無いので、無意識に「世間一般が思うやりたいこと」に足並みをそろえようとしてますが、そればかりに時間を費やすほど暇じゃない。やりたいことは死ぬほどあるんだ。

よく、「詩乃さんはやりたいことを次々と実行してていいね!」って言われますが、多少変人と思われてもやりたいことを貫くことは生まれてこの方鍛えてるので自信があります。それだけいろいろ犠牲にしてきたかもしれませんが悔いが無いほど楽しい人生だったと振り返れるでしょう。

それに「やりたい!」って自己発信してたら、空気になってても気付いてくれる仲間が見つかるしね。変人は一人とは限らないし、今の世の中身近にいなくても仲間が見つかる可能性は格段に上がってるはず。

と、まあつまり

  • 今やってることは「私」が選んだことか、「世間一般の中の私」が選んだことか見極めよう
  • たまには「世間一般の中の私」の声よりも「私」の声に忠実になろう

ってことが言いたかったです。

ということで、今日はこれにて、ドロン。

文月詩乃
「やってみたいをカタチにする」をモットーに日々試行錯誤中! 「行ってみたい!」は47都道府県を訪ねる旅に、「引きこもりたい!」は日々の事務処理を仕組み化することで実現させることを目標に活動しています。2017年8月より、フリーの「事務処理屋」としての活動を始めました!