あなたは「意味」だけで生きているのか

数年前にラジオかテレビで聞いたこの問いかけが、今も忘れられないまま承認欲求の洞窟をさ迷い続けている文月詩乃です。

それは、確か青年と老人のやりとりで

青年「人は何のために生きているんですかね」

老人「あなたは意味だけで生きているのか」

というような、とても短い内容でした。

その時に、このような問いかけをよく自分に向けて投げかけていることに気づいたのです。

「私は何のために生きているんだろう」

ちょうど学校でハブかれてロクに友達がいなかったのもあり、「別に私がいてもいなくても、この世界は特に変わらない」という事実に気付き始めた時期でした。

私はここにいなくてもいい。という紛れもない事実がどうしようもなく寂しかったのです。私はここにいるのに。空気と一緒にしないでよ、誰か私に気付いてよ。と叫びながら、承認欲求という沼地にずぶずぶと沈んでいきました。

「私がここにいる意味ってなんだろう」

「今自分のやっていることに意味はあるのだろうか、自己満足じゃないだろうか」

「何のために学んで、何のために働くのだろう」

「今、私が生きている意味ってなんだろう」

ぐるぐるぐるぐる、同じような問いかけが頭の中を駆け巡ります。

ここにいるという存在証明が欲しくて、家族や友達や社会の中に自分の居場所を探し求めました。「自分」という役割が何をすべきか、血眼になって探し回ったのです。

具体的には「良い子」になりました。良いお姉ちゃん、良い生徒、良い社員。とにかく自分だけの役割が欲しかったんです。でもその役割すら「私以外でも代役可能」ということに気付いて途方に暮れました。良い子なんてなろうと思えば結構誰でもなれるんです。

そこに冒頭の問いかけが、定期的に耳元でささやいてくるのです。

「あなたは意味だけで、生きているのか」

これは最近気づいたことなんですが……

もしかして、だけど。

私はその「意味」ってやつを、誰かが決めたり認めてくれると、ずーっと思っていたんじゃなかろうか。

「私がここにいる意味ってなんだろう」

そう思うのは、周囲の空気を読んで行動してきたからじゃないだろうか。自分にとって居心地の良い場所を選ぶ覚悟が無かったんじゃなかろうか。

「今自分のやっていることに意味はあるのだろうか、自己満足じゃないだろうか」

最初は自己満足でも良いじゃないか。自分ですら良いと思えないものに、人が良いと言ってくれるんだろうか。

「何のために学んで、何のために働くのだろう」

黙殺し続けてきた自我には、やりたいことがあったはずだ。自分のやりたいことを実行するために、それらは存在するんじゃなかったっけ?

「今、私が生きている意味ってなんだろう」

そんなもん、誰にもわかりゃしないよ。だって、その「意味」は自分で自分に与えるものだから。

答えは自分の中にある。

どんな時に自分は幸せだと感じるか、心安らかになるのか、わくわくするのか、そういう「自分自身がどうありたいのか」という本質を探究することが、今必要なんじゃなかろうか。

それが仮に人から「意味のないもの」に見られたとしても、自分自身を満たせられるなら、それは十分に意味のあることなのだ。

「あなたは意味だけで生きているのか」

それでは、これにて。

ドロン。


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文月詩乃
「やってみたいをカタチにする」をモットーに日々試行錯誤中! 「行ってみたい!」は47都道府県を訪ねる旅に、「引きこもりたい!」は日々の事務処理を仕組み化することで実現させることを目標に活動しています。2017年8月より、フリーの「事務処理屋」としての活動を始めました!