コンプレックスと自己愛がいつもせめぎ合ってるでしょ?

ある日そう言われて「あ、この人を人生の師匠と呼ぼう」と一人決意を固めた文月詩乃です。私のこじれた承認欲求を、これほど的確に言い表した人が他にいただろうか(反語)。

こじれてしまっているので、少し紐解きながら

  • 文月詩乃における承認欲求の原因
  • コンプレックスと自己愛がせめぎ合ってる理由
  • 自己承認に向けた今後の取り組み

について、まとめたいと思います。

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承認欲求が満たされない原因

そもそも私の承認欲求がいつまでも満たされず、いつまでたってもマズロー先生のいう「自己実現欲求」に進むことができないのはなぜでしょうか。私が自覚している原因は3つあるのでまずはその話を。

(参考:ウィキペディア・自己実現理論(マズロー)

原因①親の期待値が高かった

幼稚園から高校まで同じ場所に通った友人に、ある日こう言われてドキッとしました。

「詩乃さん家って幼稚園の頃から厳しいっていうか、ハードル高かったよね」

例えばテストで100点取っても、絵を描いて何かの賞に入選しても、特に褒められた記憶が無いんです。

大人になってからは「あれはあれで褒めてくれてたんだろうな」って理解はできるんですが、子供の頃の私はわからなくて「これくらい出来て普通なんだ」と考えてしまいました。

「これはできて当たり前なんだ」「本当はもっとすごいことをやり遂げないといけないのでは」と、ここから完璧主義者への階段を順調に上り始めたのでしょう。

大学で特待生を取った年に帰省した際、父親から「お前は誇りだ」と言われても「嘘だ、そもそも(父の望んでいた)国公立大学に行けなかった私が誇りになるはずがない」と反射的に思ったのには自分でも驚きました。ひねくれすぎ自分。

原因②社会的な居場所が無かった

どうも私は鼻につくらしく、中学生の頃に理由がないまま同級生の女子からハブかれていました。村八分みたいなやつです。

同級生との間には居場所がない、でも学校に通わないで親に自分の欠落してる部分(=居場所がない)が露呈する方が怖かった。

そこで社会的な役割としての「良い子」であることに磨きをかけました。そうすれは先輩や後輩、先生に対しての居場所が確保できます。これは褒められるためではなく、周囲に溶け込むための生存戦略でした。

原因③反抗期が無かった

文字数の都合上、別建てて記事を書こうと思いますが「反抗期が無かったために自我の形成をすっ飛ばしたまま大人になってしまった」のも、承認欲求をこじらせた要因だと考えてます。

承認欲求が満たされないのは『反抗期』が無かったから

これら3つの原因から「完璧な良い子」という役割を獲得することが、私の今までの人生の大半を占めていたことがわかります。

コンプレックスと自己愛のせめぎ合い

さて、先の師匠の言葉に戻りますが文月詩乃にとっての「コンプレックス」と「自己愛」って何なのでしょうか。

自己愛とは

不思議なことに、承認欲求の塊であるにも関わらず私には自信があるのです。学生の頃は「やればできる子、頑張る子」だと自負していました。そして他者から承認される「良い子」でした。

努力やまじめさの先に必ず成果があると信じていたのです。そして完璧主義ゆえに成果を出すまでとことんやる力を育てていたので、私には成果を出す自信がありました。

もっと素直に承認欲求の塊となって「どうせ私なんか……」と沈んでいくような人は、たぶんこの達成感や他者から要求される「良い子」の条件をクリアした経験が少ないのだと思います。だから私にはあまり効果がありませんでしたが「自分との小さな約束を守る」というような成功体験の積み上げが承認欲求の解消に効果的なのでしょう。

コンプレックスとは

しかしその反面、「成果を出せる良い子」という生存戦略上の役割に過ぎない、と考える自分もいました。この自分は本当の自分なの?って。

また、何か不完全なところや出来ないことが出てくると「私の何が悪かったんだろう」と徹底的に自分を責めました。

心のどこかで「承認されている」ことに気付いていた

このコンプレックスと自己愛という、一見相容れない2つがせめぎ合っているのは、何故か。

それは皮肉なことに、高い期待値故に親から「お前はできる」といつも信じてもらえていたからだと、今は思います。

負けず嫌いで「私の一体何が悪かったのだろう」と常々悔しがるのは、心の底の方で「本当はもっとできる」という秘めた自信があったからからなのでしょう。

自分を満たす、という方向へのシフト

今まで「親から認められる」「自分の居場所を確保する」ために、完璧な良い子として戦ってきました。

でも、こういう生き方にはそろそろ限界が来たようです。

「できること」ではなく「好きなこと」を選ぶということ。

それに私が気付いていないだけでもう既に、親からは認められていたんですよね。

居場所だって小さなコミュニティに複数所属し続けることが増えて、メンタル的に安定してきました。

実は冒頭の師匠の言葉には続きがあります。

「あなた、コンプレックスと自己愛がいつもせめぎ合っているでしょう。もう少しいろいろ満たしなさい、いつも頑張って放出ばっかりしてないでさ。」

ずいぶん前から「完璧な良い子」になんてなれないのは知っていたんです。でも、それ以外の方法で生きるのが怖かったのです。「完璧な良い子」でいるうちは、なんだかんだ居場所があったから。

でも最近は、そういうものを手放して空っぽになってみようかな、と。

空っぽになった私に、私が喜ぶことをや好きなものを少しずつ詰め込んで、完璧でも良い子でもないダメダメな私でも一緒にいてやるよ、という懐の広い人と笑顔溢れる日々を送りたい。

私が居心地がいいと感じる私に近づいていくのが、たぶん承認欲求を満たしていくということだと今は思うので。

それでは、これにて。

ドロン。


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承認欲求が満たされないのは『反抗期』が無かったから

文月詩乃
「やってみたいをカタチにする」をモットーに日々試行錯誤中! 「行ってみたい!」は47都道府県を訪ねる旅に、「引きこもりたい!」は日々の事務処理を仕組み化することで実現させることを目標に活動しています。2017年8月より、フリーの「事務処理屋」としての活動を始めました!